南極便り (1-4);しらせ砕氷航海;南極52-53次隊;Ice Rises;映画南極
南極だより (1)
澤柿 教伸、2012/02/20、No.2281 (2012.1.30、昭和基地発)
ブリザードになるというので氷河上のキャンプから昭和基地に来ました。2か月ぶりのオンライン環境です。これまでいたラングホブデ氷河の写真です。
ラング氷河で400 m深の熱水掘削・アイスレーダー探査・GPS観測など,いろいろやってきました。三度目の南極ですが昭和基地に近いところにこんな秘境があったのかと新鮮な感動に浸っています。
ラングホブデ氷河は昭和基地の南20 kmほどのところにあって,南極氷床の氷が川のようになって海へ流れだしている「氷流(アイスストリーム)」と呼ばれるところです。海抜数十メートル程度ですが流れが速いので変化が激しくダイナミックな場所です。50年以上の南極観測の歴史の中で人跡未踏のまま残されていた場所でした。
[facebook.com/sawagakiより、本人の了承を得て転載.
筆者:第53次南極観測夏隊員.編集:成瀬廉二]
南極だより (2)
澤柿 教伸、2012/02/22、No.2283
(2012.1.30、昭和基地発)
昭和基地に滞在しているうちに野外観測のうかれたことばかり言ってらない雰囲気がようやく分かってきました。(新砕氷船)「しらせ」が昭和基地接岸を断念。今や,残り少なくなった時間の中で越冬成立のための物資輸送を完了させることが最優先課題です。
先代「しらせ」も一度だけ接岸を断念しています。実はそのときも私は昭和基地にいました(第34次越冬隊)。この2回の経験者は隊と船をあわせても稀少なはず。35-53という数字のマジックもささやかれています。
29日にラング氷河から昭和基地入りする際にヘリコプターから撮影した写真です。
(2012.2.3、昭和基地発)
昭和基地の秋もうらぶれきた今夕(といっても真夜中の10時過ぎですが),みんなで日没直前のグリーンフラッシュをねらいました。写真に収めるのは失敗しましたが肉眼ではしっかり緑の閃光を拝みました。夏宿生活のなかでも,夏オペレーション終盤のこういう瞬間が好きです。
[facebook.com/sawagakiより転載.編集:成瀬
南極だより (3)
澤柿 教伸、2012/02/24、No.2284
(2012.2.4、昭和基地発)
今日は氷河上にデポしてきた機材の撤収作業です。小型ヘリで何往復もするため丸一日かかりました。「しらせ」接岸不能のために2月に入っても本格空輸が続いていて,A-Bヘリポート周辺はごった返しています。そこで,本格空輸の邪魔にならないように,我々の撤収機材を一時集積する場所として,島の東の外れにあるCヘリポートを使うことを思いつきました。
Cヘリポートは,51次以降に大型ヘリが導入されることを見越して,48次の夏に大幅改修されたヘリポートです。しかし,予定されていた51次になっても,多量の残雪が残っていたり,そこに通じる道路が泥沼化してしまったりして,Cヘリポートはほとんど本格活用されないままになってしまいました。
でも,小型ヘリを使って...回収した物資を一時集積して,テント干しや食材の整理などの帰還準備に使うには全く問題ありません。不遇な境遇に置かれたCヘリポートをこれまでで一番活用したのが今回の我々なのではないかと思います。
Cヘリポートは大陸も氷山もよく見渡せますし,昭和基地主要部の喧騒も届きません。Cヘリポートの向こうには大気レーダー観測プロジェクト「パンジー」のアンテナ林が広がっています。Cヘリポートは,さながら「森を抜けると広がる桃源郷」のような場所です。
野外で独立した活動を維持してきた機材が氷河から帰ってきて,こうしてCヘリポートにそろってみると,制約が多くてかえって不便になっている昭和基地主要部よりは,島のはずれのこの場所でひっそりときままにキャンプ生活するのも悪くないな,と本気で考えてしまいました。
Cヘリポートで作業中に,20kmほど先にいる「しらせ」へと出発していく氷上輸送隊の車列を見送りました(写真)。
[facebook.com/sawagakiより転載.編集:成瀬]
南極だより (4)
澤柿 教伸 (成瀬廉二)、2012/02/26、No.2285
(2012.2.10、11、昭和基地発)
ミッションコンプリート。さらばラング氷河。またいつの日か。
[写真]右から二つ目が長頭山のピークです。流線型に伸びたドラムリンの長軸を上流側から見ている感じになります。
[facebook.com/sawagakiより転載]
(2月15日、澤柿、「しらせ」発)
さきほど,昭和基地から「しらせ」にもどりました。
34次越冬明けの帰路につづいて,再び,昭和基地接岸を断念した夏になりました。34-35次当時とはちがって,今では夏の野外調査活動は,観測隊の活動の中でも最も優遇されます。
接岸しなかったという輸送上の苦境にかかわらず,今回も野外調査日程は100%確保され,おかげさまで,杉山さんとともに行ったラングホブデ氷河熱水掘削計画は,予定していた内容をほぼ完了させることができました。また,成果も十分にあげることができたと思っています。
(「南極だより」 ひとまず おわり)
{第53次隊物資輸送の経過}
(国立極地研究所ウェブサイト"Topics" および「南極観測のホームページ」より抜粋、編集:成瀬廉二)
1月21日、観測船「しらせ」は昭和基地沖への接岸を断念した。昭和基地の西北西21 kmの停留地点の氷厚は約5 m、積雪深は71-135 cmであった。第53次隊の越冬観測用物資は、ヘリコプターにより空輸、および雪上車により氷上輸送されることとなった。
「しらせ」から昭和基地までの海氷上に安全なルートを設定し、走行は、気温が下がり氷状が安定する深夜に行うこととした。ルートは片道約30 km、1日1往復が限度である。昭和基地にある雪上車をフル稼働させ、第52次越冬隊、第53次隊が協力して、空輸で運べない大型物資、コンテナなどの氷上輸送を行った。
2月10日までの氷上輸送量は396.4トンとなり、空輸量は421.1トン、合計817.5トンは、総物資量1,274トンの64.2%に達し、輸送作業を終了した。搬入できなかった主な物資は、燃料の40%弱、風力発電機、新汚水処理設備の資材、自然エネルギー棟用資材の一部等であった。
以上により、第53次隊の越冬観測は支障ない状態となり、例年2月1日に行われる越冬交代式を2月12日に実施し、2月13日「しらせ」は復路の航海を開始した。
「しらせ」依然、砕氷航行中
成瀬廉二、2012/03/04、No.2288
「南極観測のホームページ」には「しらせ」のほぼ毎日の位置(緯度、経度)が公表されている。それによると、2月13日に帰路の氷海航行を開始したが、3月2日までの18日間に、北北西へ44 kmしか進んでいない。1日平均2.4 kmであり、厚い氷に相当難航していることが窺える。
帰路も往路のルート付近を航行しているが、往路に砕氷した航路が復路に水路として開いたままになっていることもあるが、風により吹き寄せられ、逆に強固な氷の峰となることもある。たぶん、後者の状態だと推測する。
しかし、3月2日の位置は1月8日のそれに近く、氷縁に近づいていることは確かのようである。
写真は、進水式(2008.4.16、舞鶴港)における2代目「しらせ」。同船は、2009年の第51次隊から就航し、今年は3年目である。
「しらせ」外洋へ
成瀬廉二、2012/03/06、No.2291
「南極観測のホームページ」によると、「しらせ」は3月4日から5日に、北東へ364 km移動した。この間、24時間航行していたかどうか不明だが、単純に平均すると15.2 km/時となり、巡航速度よりは遅いが、外洋に出たものと思われる。
計画では、約6,000 km先のオーストラリア・フリーマントルへ3月17日入港だが、これが遅れるのかどうか。
写真は、南極氷海の外洋に停泊している先代「しらせ」(34次南極観測隊1992-94、撮影:澤柿教伸)。
(注:本記事は5日18時に投稿(No.2290)したが、「北東へ364 km」を誤って「北西へ」としたので、これを訂正するとともに、若干加筆し、再投稿したものである)
南極観測から戻りました
杉山 慎、2012/03/25、No.2296
南極観測としらせの動向に関する記事をありがとうございます。厚い海氷と雪に阻まれて接岸は断念したものの、任務を終えたしらせは予定通りオーストラリアに戻りました。現在日本に向けて航行していることと思います。
私や澤柿さんを含めた北大の観測班はラングホブデ氷河にて氷河の底まで掘削した縦孔を使った観測を行いました。海に流れ込むダイナミックな氷河の振る舞いを、氷河の底から解明しよう、という試みです。(写真は海に面した氷河の末端です)
凍った湖に潜水したり、ペンギンにカメラをつけたり、日本の南極観測隊では刺激的な研究が進んでいます。これから発表される成果が楽しみです。
わたしたちの氷河観測の模様はこちらでご覧になれます。
http://wwwice.lowtem.hokudai.ac.jp/~sugishin/photo_album/langhovde2012/langhovde2012.html
第52・53次南極観測隊報告会
成瀬廉二、2012/04/14、No.2305
第52次南極越冬隊および53次夏隊の帰国報告会・歓迎会が、4月10日、明治記念館にて開催された。主催は(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構)国立極地研究所で、来賓として文部科学大臣、数名の衆・参議員が出席していた。
報告会では、第52次越冬隊の観測結果の概要が、次いで53次夏隊の活動経過が報告された。越冬隊員は30名に対し、夏隊は33名の隊員プラス26名の同行者(大学院生、技術者、学校教諭等)の大所帯であり、近年、夏隊重視の傾向が顕著である。
第53次夏隊の主な活動内容は、以下の通りである(山岸隊長の資料より要約)。1)大型大気レーダによる極域中間圏(高度数10 km)のエコー(雲)の観測、2)海鷹丸との連携による海洋観測、3)露岩地域における氷床変動解明のための地形地質調査、4)熱水掘削(写真)によるラングホブデ氷河の底面および棚氷下の環境観測、5)ビデオ・GPS等を装着したペンギンの行動生態調査。
また、今年の氷海航行は大変難航したので、隊長の報告や質疑には多くの時間がさかれた。昭和基地に接岸できなかったのは、第35次隊以来18年振りのことである。単純に昨冬は寒かったから海氷が厚く張って硬かった、というわけではなく、昨年後半から今夏(1,2月)にかけて降雪が非常に多かったことが大きく影響したらしい。つまり、厚い海氷を割るために砕氷船が勢いをつけて氷にぶつかっても(ラミング、ramming)、海氷上に1, 2 mもの積雪があると、それが緩衝材となり、氷が破壊され難くなるからである。
[写真:ラングホブデ氷河における熱水掘削(2012.1.6)、Shin Sugiyama “Hot water drilling at Langhovde Glacier, East Antarctica”より]
Ice Risesプロジェクト
松岡健一、2011/12/15、No.2249
Ice Risesプロジェクトはノルウェー極地研究所が主導する新しいプロジェクトです。南極氷床から流れ出た氷が海に浮いている棚氷。この浮いている棚氷にポツンと突き出た小島のような氷丘(Ice Rise)の数々。これを調査することにより、南極沿岸部での過去数千年の変動史とそのメカニズムに迫ります。
今年7月に始まった、Ice Risesプロジェクトの1回目の現地観測がまもなく始まります。毎日1回、現地の気象情報と2枚の写真(Movieのときもあり)をポストします。Blogサイト、もしくはFacebookサイトでお楽しみください。皆さんからのコメント、質問も歓迎します(ノルウェー語もしくは英語で極地研究者の卵たちがご質問にお答えします)。
プロジェクトの概要のページは、、まもなく出来上がるはずです。出来上がりましたら、追ってご連絡差し上げます。
~~~~~~~~~~
『南極大陸』
成瀬廉二、2011/12/22、No.2252
たかがテレビのドラマに、コメントしたり、異を唱えることにはためらいを感ずる。しかし、毎回番組の最後に「これはフィクションである」との字幕が表示されても、その前に”原案”北村泰一(第1次、3次南極越冬隊員)とあれば、視聴者の誰もが、これが”原作”で、脚本家が”脚色”したので、フィクションとしているのだろうと思う。つまり、概ね真実なんだろう、と捉えられているに違いない。
私も何人かから、「***は、本当ですか?」などと尋ねられた。「###はつくり話です」とか言うと、皆さん肯くか、ほっとした表情になる。
『南極大陸』というドラマが、10月から12月にかけて日曜日の夜、全10回放映された。TBS開局60周年記念とのことで、出演者や野外ロケなど、相当力が入っていることがうかがわれた。物語は、日本が南極観測に参加を希望するブリュッセルの国際地球観測年(IGY)特別委員会(1955.9)から始まり、第3次隊が生存していた2頭の犬に再会するシーン(1959.1)をクライマックスとしたものである。
全体の流れと枠組みは、史実から大きくは逸脱していない。第1次越冬隊は総勢11名で、ドラマでも全員が登場する。主役(木村拓哉)は、地質が専門で犬そり係の責任者なのでモデルは菊池徹隊員(当時、地質調査所)と思われた。東大助教授という主役は永田武隊長(当時、東大教授:地磁気)とともにブリュッセルの会議に出席し、後に第1次越冬隊では副隊長となる。しかし、それはない。第1次越冬隊には副隊長はいなかったし、それに相当する人は西堀栄三郎越冬隊長(当時、京大教授)に次ぐ長老の中野征紀隊員(医師)か、地質担当の立見辰雄隊員(当時、東大教授)と思われる。そして、再び第3次越冬隊に参加したのは、主役ではなく、犬そりとオーロラ担当の若い北村泰一隊員(現在、九州大学名誉教授)であった。つまり、主役は約3人を合成した虚構の人である。
ついでに言えば、監視役という任務で越冬した大蔵省のエリート事務官(堺雅人)は、実在しない。越冬が始まってから、彼は気象観測を担当するようになるが、出発前にそれなりの実習と勉強をしていないと、極地での気象観測はおぼつかない。気象担当は、気象庁富士山測候所出身の村越望隊員(現、新潟県在住)だったが、ドラマの11人には該当者がいない。
このように、第1次越冬隊に限らず、夏隊、2、3次隊とも、隊員構成はフィクションである。一方、犬たちは、タロ、ジロ、リキ、フーレンのクマなど、”本名”で登場する。このドラマは、犬が主役の物語なのだろう。鳥取のある図書館長から、「フィクションとは知りつつ、犬たちの名演技に毎回泣かされています」とのメールをいただいた。
[写真]第10次越冬時(1969年)の昭和基地。左側の建物が、第1次隊が1957年1月に建設した居住棟(後に、地学棟として使用した)。
澤柿 教伸、2012/02/20、No.2281 (2012.1.30、昭和基地発)
ブリザードになるというので氷河上のキャンプから昭和基地に来ました。2か月ぶりのオンライン環境です。これまでいたラングホブデ氷河の写真です。
ラング氷河で400 m深の熱水掘削・アイスレーダー探査・GPS観測など,いろいろやってきました。三度目の南極ですが昭和基地に近いところにこんな秘境があったのかと新鮮な感動に浸っています。
ラングホブデ氷河は昭和基地の南20 kmほどのところにあって,南極氷床の氷が川のようになって海へ流れだしている「氷流(アイスストリーム)」と呼ばれるところです。海抜数十メートル程度ですが流れが速いので変化が激しくダイナミックな場所です。50年以上の南極観測の歴史の中で人跡未踏のまま残されていた場所でした。
[facebook.com/sawagakiより、本人の了承を得て転載.
筆者:第53次南極観測夏隊員.編集:成瀬廉二]
南極だより (2)
澤柿 教伸、2012/02/22、No.2283
(2012.1.30、昭和基地発)
昭和基地に滞在しているうちに野外観測のうかれたことばかり言ってらない雰囲気がようやく分かってきました。(新砕氷船)「しらせ」が昭和基地接岸を断念。今や,残り少なくなった時間の中で越冬成立のための物資輸送を完了させることが最優先課題です。
先代「しらせ」も一度だけ接岸を断念しています。実はそのときも私は昭和基地にいました(第34次越冬隊)。この2回の経験者は隊と船をあわせても稀少なはず。35-53という数字のマジックもささやかれています。
29日にラング氷河から昭和基地入りする際にヘリコプターから撮影した写真です。
(2012.2.3、昭和基地発)
昭和基地の秋もうらぶれきた今夕(といっても真夜中の10時過ぎですが),みんなで日没直前のグリーンフラッシュをねらいました。写真に収めるのは失敗しましたが肉眼ではしっかり緑の閃光を拝みました。夏宿生活のなかでも,夏オペレーション終盤のこういう瞬間が好きです。
[facebook.com/sawagakiより転載.編集:成瀬
南極だより (3)
澤柿 教伸、2012/02/24、No.2284
(2012.2.4、昭和基地発)
今日は氷河上にデポしてきた機材の撤収作業です。小型ヘリで何往復もするため丸一日かかりました。「しらせ」接岸不能のために2月に入っても本格空輸が続いていて,A-Bヘリポート周辺はごった返しています。そこで,本格空輸の邪魔にならないように,我々の撤収機材を一時集積する場所として,島の東の外れにあるCヘリポートを使うことを思いつきました。
Cヘリポートは,51次以降に大型ヘリが導入されることを見越して,48次の夏に大幅改修されたヘリポートです。しかし,予定されていた51次になっても,多量の残雪が残っていたり,そこに通じる道路が泥沼化してしまったりして,Cヘリポートはほとんど本格活用されないままになってしまいました。
でも,小型ヘリを使って...回収した物資を一時集積して,テント干しや食材の整理などの帰還準備に使うには全く問題ありません。不遇な境遇に置かれたCヘリポートをこれまでで一番活用したのが今回の我々なのではないかと思います。
Cヘリポートは大陸も氷山もよく見渡せますし,昭和基地主要部の喧騒も届きません。Cヘリポートの向こうには大気レーダー観測プロジェクト「パンジー」のアンテナ林が広がっています。Cヘリポートは,さながら「森を抜けると広がる桃源郷」のような場所です。
野外で独立した活動を維持してきた機材が氷河から帰ってきて,こうしてCヘリポートにそろってみると,制約が多くてかえって不便になっている昭和基地主要部よりは,島のはずれのこの場所でひっそりときままにキャンプ生活するのも悪くないな,と本気で考えてしまいました。
Cヘリポートで作業中に,20kmほど先にいる「しらせ」へと出発していく氷上輸送隊の車列を見送りました(写真)。
[facebook.com/sawagakiより転載.編集:成瀬]
南極だより (4)
澤柿 教伸 (成瀬廉二)、2012/02/26、No.2285
(2012.2.10、11、昭和基地発)
ミッションコンプリート。さらばラング氷河。またいつの日か。
[写真]右から二つ目が長頭山のピークです。流線型に伸びたドラムリンの長軸を上流側から見ている感じになります。
[facebook.com/sawagakiより転載]
(2月15日、澤柿、「しらせ」発)
さきほど,昭和基地から「しらせ」にもどりました。
34次越冬明けの帰路につづいて,再び,昭和基地接岸を断念した夏になりました。34-35次当時とはちがって,今では夏の野外調査活動は,観測隊の活動の中でも最も優遇されます。
接岸しなかったという輸送上の苦境にかかわらず,今回も野外調査日程は100%確保され,おかげさまで,杉山さんとともに行ったラングホブデ氷河熱水掘削計画は,予定していた内容をほぼ完了させることができました。また,成果も十分にあげることができたと思っています。
(「南極だより」 ひとまず おわり)
{第53次隊物資輸送の経過}
(国立極地研究所ウェブサイト"Topics" および「南極観測のホームページ」より抜粋、編集:成瀬廉二)
1月21日、観測船「しらせ」は昭和基地沖への接岸を断念した。昭和基地の西北西21 kmの停留地点の氷厚は約5 m、積雪深は71-135 cmであった。第53次隊の越冬観測用物資は、ヘリコプターにより空輸、および雪上車により氷上輸送されることとなった。
「しらせ」から昭和基地までの海氷上に安全なルートを設定し、走行は、気温が下がり氷状が安定する深夜に行うこととした。ルートは片道約30 km、1日1往復が限度である。昭和基地にある雪上車をフル稼働させ、第52次越冬隊、第53次隊が協力して、空輸で運べない大型物資、コンテナなどの氷上輸送を行った。
2月10日までの氷上輸送量は396.4トンとなり、空輸量は421.1トン、合計817.5トンは、総物資量1,274トンの64.2%に達し、輸送作業を終了した。搬入できなかった主な物資は、燃料の40%弱、風力発電機、新汚水処理設備の資材、自然エネルギー棟用資材の一部等であった。
以上により、第53次隊の越冬観測は支障ない状態となり、例年2月1日に行われる越冬交代式を2月12日に実施し、2月13日「しらせ」は復路の航海を開始した。
「しらせ」依然、砕氷航行中
成瀬廉二、2012/03/04、No.2288
「南極観測のホームページ」には「しらせ」のほぼ毎日の位置(緯度、経度)が公表されている。それによると、2月13日に帰路の氷海航行を開始したが、3月2日までの18日間に、北北西へ44 kmしか進んでいない。1日平均2.4 kmであり、厚い氷に相当難航していることが窺える。
帰路も往路のルート付近を航行しているが、往路に砕氷した航路が復路に水路として開いたままになっていることもあるが、風により吹き寄せられ、逆に強固な氷の峰となることもある。たぶん、後者の状態だと推測する。
しかし、3月2日の位置は1月8日のそれに近く、氷縁に近づいていることは確かのようである。
写真は、進水式(2008.4.16、舞鶴港)における2代目「しらせ」。同船は、2009年の第51次隊から就航し、今年は3年目である。
「しらせ」外洋へ
成瀬廉二、2012/03/06、No.2291
「南極観測のホームページ」によると、「しらせ」は3月4日から5日に、北東へ364 km移動した。この間、24時間航行していたかどうか不明だが、単純に平均すると15.2 km/時となり、巡航速度よりは遅いが、外洋に出たものと思われる。
計画では、約6,000 km先のオーストラリア・フリーマントルへ3月17日入港だが、これが遅れるのかどうか。
写真は、南極氷海の外洋に停泊している先代「しらせ」(34次南極観測隊1992-94、撮影:澤柿教伸)。
(注:本記事は5日18時に投稿(No.2290)したが、「北東へ364 km」を誤って「北西へ」としたので、これを訂正するとともに、若干加筆し、再投稿したものである)
南極観測から戻りました
杉山 慎、2012/03/25、No.2296
南極観測としらせの動向に関する記事をありがとうございます。厚い海氷と雪に阻まれて接岸は断念したものの、任務を終えたしらせは予定通りオーストラリアに戻りました。現在日本に向けて航行していることと思います。
私や澤柿さんを含めた北大の観測班はラングホブデ氷河にて氷河の底まで掘削した縦孔を使った観測を行いました。海に流れ込むダイナミックな氷河の振る舞いを、氷河の底から解明しよう、という試みです。(写真は海に面した氷河の末端です)
凍った湖に潜水したり、ペンギンにカメラをつけたり、日本の南極観測隊では刺激的な研究が進んでいます。これから発表される成果が楽しみです。
わたしたちの氷河観測の模様はこちらでご覧になれます。
http://wwwice.lowtem.hokudai.ac.jp/~sugishin/photo_album/langhovde2012/langhovde2012.html
第52・53次南極観測隊報告会
成瀬廉二、2012/04/14、No.2305
第52次南極越冬隊および53次夏隊の帰国報告会・歓迎会が、4月10日、明治記念館にて開催された。主催は(大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構)国立極地研究所で、来賓として文部科学大臣、数名の衆・参議員が出席していた。
報告会では、第52次越冬隊の観測結果の概要が、次いで53次夏隊の活動経過が報告された。越冬隊員は30名に対し、夏隊は33名の隊員プラス26名の同行者(大学院生、技術者、学校教諭等)の大所帯であり、近年、夏隊重視の傾向が顕著である。
第53次夏隊の主な活動内容は、以下の通りである(山岸隊長の資料より要約)。1)大型大気レーダによる極域中間圏(高度数10 km)のエコー(雲)の観測、2)海鷹丸との連携による海洋観測、3)露岩地域における氷床変動解明のための地形地質調査、4)熱水掘削(写真)によるラングホブデ氷河の底面および棚氷下の環境観測、5)ビデオ・GPS等を装着したペンギンの行動生態調査。
また、今年の氷海航行は大変難航したので、隊長の報告や質疑には多くの時間がさかれた。昭和基地に接岸できなかったのは、第35次隊以来18年振りのことである。単純に昨冬は寒かったから海氷が厚く張って硬かった、というわけではなく、昨年後半から今夏(1,2月)にかけて降雪が非常に多かったことが大きく影響したらしい。つまり、厚い海氷を割るために砕氷船が勢いをつけて氷にぶつかっても(ラミング、ramming)、海氷上に1, 2 mもの積雪があると、それが緩衝材となり、氷が破壊され難くなるからである。
[写真:ラングホブデ氷河における熱水掘削(2012.1.6)、Shin Sugiyama “Hot water drilling at Langhovde Glacier, East Antarctica”より]
Ice Risesプロジェクト
松岡健一、2011/12/15、No.2249
Ice Risesプロジェクトはノルウェー極地研究所が主導する新しいプロジェクトです。南極氷床から流れ出た氷が海に浮いている棚氷。この浮いている棚氷にポツンと突き出た小島のような氷丘(Ice Rise)の数々。これを調査することにより、南極沿岸部での過去数千年の変動史とそのメカニズムに迫ります。
今年7月に始まった、Ice Risesプロジェクトの1回目の現地観測がまもなく始まります。毎日1回、現地の気象情報と2枚の写真(Movieのときもあり)をポストします。Blogサイト、もしくはFacebookサイトでお楽しみください。皆さんからのコメント、質問も歓迎します(ノルウェー語もしくは英語で極地研究者の卵たちがご質問にお答えします)。
プロジェクトの概要のページは、、まもなく出来上がるはずです。出来上がりましたら、追ってご連絡差し上げます。
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『南極大陸』
成瀬廉二、2011/12/22、No.2252
たかがテレビのドラマに、コメントしたり、異を唱えることにはためらいを感ずる。しかし、毎回番組の最後に「これはフィクションである」との字幕が表示されても、その前に”原案”北村泰一(第1次、3次南極越冬隊員)とあれば、視聴者の誰もが、これが”原作”で、脚本家が”脚色”したので、フィクションとしているのだろうと思う。つまり、概ね真実なんだろう、と捉えられているに違いない。
私も何人かから、「***は、本当ですか?」などと尋ねられた。「###はつくり話です」とか言うと、皆さん肯くか、ほっとした表情になる。
『南極大陸』というドラマが、10月から12月にかけて日曜日の夜、全10回放映された。TBS開局60周年記念とのことで、出演者や野外ロケなど、相当力が入っていることがうかがわれた。物語は、日本が南極観測に参加を希望するブリュッセルの国際地球観測年(IGY)特別委員会(1955.9)から始まり、第3次隊が生存していた2頭の犬に再会するシーン(1959.1)をクライマックスとしたものである。
全体の流れと枠組みは、史実から大きくは逸脱していない。第1次越冬隊は総勢11名で、ドラマでも全員が登場する。主役(木村拓哉)は、地質が専門で犬そり係の責任者なのでモデルは菊池徹隊員(当時、地質調査所)と思われた。東大助教授という主役は永田武隊長(当時、東大教授:地磁気)とともにブリュッセルの会議に出席し、後に第1次越冬隊では副隊長となる。しかし、それはない。第1次越冬隊には副隊長はいなかったし、それに相当する人は西堀栄三郎越冬隊長(当時、京大教授)に次ぐ長老の中野征紀隊員(医師)か、地質担当の立見辰雄隊員(当時、東大教授)と思われる。そして、再び第3次越冬隊に参加したのは、主役ではなく、犬そりとオーロラ担当の若い北村泰一隊員(現在、九州大学名誉教授)であった。つまり、主役は約3人を合成した虚構の人である。
ついでに言えば、監視役という任務で越冬した大蔵省のエリート事務官(堺雅人)は、実在しない。越冬が始まってから、彼は気象観測を担当するようになるが、出発前にそれなりの実習と勉強をしていないと、極地での気象観測はおぼつかない。気象担当は、気象庁富士山測候所出身の村越望隊員(現、新潟県在住)だったが、ドラマの11人には該当者がいない。
このように、第1次越冬隊に限らず、夏隊、2、3次隊とも、隊員構成はフィクションである。一方、犬たちは、タロ、ジロ、リキ、フーレンのクマなど、”本名”で登場する。このドラマは、犬が主役の物語なのだろう。鳥取のある図書館長から、「フィクションとは知りつつ、犬たちの名演技に毎回泣かされています」とのメールをいただいた。
[写真]第10次越冬時(1969年)の昭和基地。左側の建物が、第1次隊が1957年1月に建設した居住棟(後に、地学棟として使用した)。